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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2009年10月28日

長崎平戸/映画「幸橋」:ロケーションボックス

~東京都庁~

11月に撮影する「神威龍牙」PVのロケハンのために
東京都庁のロケーションボックスへ行ってきた。

「幸橋」ロケーションにも使用したい。


東京都庁は素晴らしい。
どこを切り取っても画になる。

スタッフたちとロケハンをしている最中に「神威」がやってきた。
近代的な都庁の造りに彼はよく似合っている。
車椅子に乗った「龍牙」は都庁と妙にマッチしている。



神威龍牙

11月、「神威龍牙」PVアクション!

映画「幸橋」を企画した、「どらまか企画」のホームページです。
http://doramaka-kikaku.com

映画「幸橋」公式ホームページ
「サポーター募集」についてもご覧いただけます。
http://saiwaibashi-movie.com

  


Posted by 幸(さいわいばし)橋 at 22:52Comments(0)映画

2009年10月26日

長崎平戸/映画「幸橋」:幸橋サポーター

~映画「幸橋」サポーター募集!! ~

映画「幸橋」サポーター

「サポーター」とは、映画「幸橋」製作の趣旨と想いに賛同し、映画製作を支援
していただく企業・個人の方々のことです。

映画「幸橋」製作実行委員会は現在、2010年春のクランクインに向け準備を
進めています。撮影は平戸市を中心とする長崎県(一部東京都内)となります。

この物語は、ビル7階の高さから誤って墜落し奇跡的に一命は取留めたが、
その引き換えとして失明してしまった実在のカメラマンをモデルにした物語です。

全盲になってしまった物語ということもあり、日本盲人会連合・日本点字図書館・
長崎県視覚障害者協会のご賛同をいただき“後援”をして頂くことになりました。

当製作実行委員会としても、何かお役に立てればと思い映画収益金の一部をご
協力いただいた障害者団体に寄付をしていく“チャリティー映画”としても取り組む
ことにいたしました。
また、上映の際には障害者も健常者も同時に映画を楽しめる“字幕・副音声付き
の”バリアフリー上映”として活動させていただきます。

みなさまからのサポートが、映画「幸橋」の製作活動を大きく支えていきます。

サポートは随時受け付けておりますので、【映画「幸橋」サポート】へのご協力を
心よりお願い申し上げます。

詳しくは「どらまか企画HP」をご覧ください。
また、まもなく「幸橋」公式ホームページを開設いたします。
そちらの方で、詳細をご覧になれますので暫くお待ちください。

2009.10現在
下記団体に「後援」をいただきました。


「日本盲人会連合」様
「日本点字図書館」様
「長崎県視覚障害者協会」様



映画「幸橋」を企画した、「どらまか企画」のホームページです。
http://doramaka-kikaku.com

映画「幸橋」公式ホームページ
http://saiwaibashi-movie.com

  


Posted by 幸(さいわいばし)橋 at 23:46Comments(0)映画

2009年10月22日

長崎平戸/映画「幸橋」:輝く表現者

~神威龍牙~

神威龍牙(かむいりゅうが)~ROCK ARTIST~

ヴィジュアル系男子・・・と、勝手に名づけた。
先日、この「カムイリュウガ」に会ってきた。

2007年6月、「SPARK/Lecherous」でROCK ARTISTとして
CDデビューを果たした。

その「神威龍牙」のミュージッククリップの監督をやることになり
スタッフと彼の元を訪ねた。

独特な空気に包まれた「龍牙」。不思議な世界に巻き込む「神威」。
自分の世界をしっかりと持っている。彼の表現は音楽だけではない・・・。
世界のすべてが自分のキャンパス!とでも言わんばかりのチャレンジャー。

しかし、そんな彼は先天性疾患による両下肢機能障害で生まれた。
まったく足がないわけではない。
とても可愛い足があるのだ。
その可愛い足を彼(神威)は自分で”かわいい~”という・・・・。
自分で”かわいい足”という・・・・。
なんと研ぎ澄まされた感情・・・というか
この前向きな”神威龍牙”という男は・・・・。
とても不思議な生き物だ!


普段の生活の一部は”車椅子”
これが彼のいわゆる”足”だ!

10年程前はスキーにチャレンジして、ジャパン・パラリンピックで優勝したこともある。
その後、モデルや役者、カウンセリング/ライフアドバイスを主目的としたホスト、
ジュエリー・デザイナーなど、様々なことにチャレンジしてきた。

生きている証として、彼はすべてを表現する。

彼と話しているうちに、映画「幸橋」のモデルになっていただいた
”伊藤邦明氏”を思い起こした。

障害を感じさせない、明るい表情と力強い生命力。
生きることの意味を知っている。
自分らしい生き方を知っている。

未知の可能性を知っている。
”伊藤邦明氏”がいつも言っている・・・・「人には無限の可能性がある。」と。

この”神威龍牙”と出会って、「自分らしい生き方」とは?
と、あらためて考えるようになった・・・・・。

私も彼らのように「輝く表現者」になろうと決めた。



神威龍牙Official Website
http://www.camuiryuga.com/index.html


映画「幸橋」を企画した、「どらまか企画」のホームページです。
http://doramaka-kikaku.com

映画「幸橋」公式ホームページ
「サポーター募集」についてもご覧いただけます。
http://saiwaibashi-movie.com

  


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2009年10月21日

長崎平戸/映画「幸橋」:チャリティー&バリアフリー映画

~チャリティー映画~


映画「幸橋」製作実行委員会では「チャリティー映画」として取り組んでおります。

この映画は、中途失明してしまった青年の壮絶な生き様を描いた物語ということで、
”日本盲人会連合””日本点字図書館””長崎県視覚障害者協会”の後援を頂くこと
ととなりました。

私たち、実行委員会としても何かお役に立てればと考え、この映画の収益の一部を、
協力していただいた障害者団体への寄付をしてまいりたいと思い「チャリティー映画」
として今後は活動をしてまいりたいと考えております。



~バリアフリー上映~


映画「幸橋」製作実行委員会では「バリアフリー上映」の取り組みをしてまいります。

健常者も障害者も共に楽しんでいただくために「バリアフリー上映」を行います。
上映期間中の日にちを設定して”字幕・副音声付き上映”で様々な方々に鑑賞
していただくことで、垣根のない娯楽をお届けしたと考えております。


今後とも、映画「幸橋」製作実行委員会のご支援・ご協力を
お願い申し上げます。



映画「幸橋」を企画した、「どらまか企画」のホームページです。
「サポーター募集」についてもご覧いただけます。
http://doramaka-kikaku.com

映画「幸橋」公式ホームページ
http://saiwaibashi-movie.com

  


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2009年10月16日

長崎平戸/映画「幸橋」:舞台となる風光明媚な平戸(4)

~歴史でみる日本初は平戸発~

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/

平戸は、わが国の西端に位置し大陸に近いことから、古くから大陸交流の玄関口として栄え、
平安時代には遣唐使の寄港地として、空海や栄西なども立ち寄っています。
16世紀にはポルトガル船が来航し、17世紀前半には平戸にオランダやイギリスの商館が
設置されるなど紅毛文化やキリスト教伝来の窓口となりました。



タバコ
日本に初めてタバコの種をもたらしたのは、スペイン人宣教師でした。1601年平戸に入稿したホロニモ・デ・ヘスス・デ・カストロ神父は、のちに薬用として、タバコの種子などを徳川家康に献上している。タバコの種子は初めて平戸に上陸し、このとき松浦鎮信に贈られた可能性もあります。


ペンキ
1609年、オランダ商館が建てられた時、その外観を彩ったのが、日本で最初に使われたペンキでした。当時は、建物に彩色を施す事自体が日本人の目には珍しく、一種のカルチャーショックを与えたと思われます。


甘藷(さつまいも)
1615年、ウィリアム・アダムズが貿易のため東南アジアに渡航した時、船の故障で寄港した琉球で甘藷を見つけ、当時の平戸イギリス商館長・リチャード・コックスに贈ったと言われています。コックスは現在の千里ヶ浜で日本で初めて甘藷の栽培を行いました。


ビール
1613年、英国船「グローブ号」が平戸に来航しました。長旅の疲れを癒すために積まれていたビールが、その時、船員たちとともに上陸したのが、日本へのビール初伝来と言われています。


西洋医学
長い航海を続ける船員たちの健康管理術が、西洋医学として日本にもたらされました。その医学を学んだ嵐山甫庵(あらしやまほあん)は、平戸判田(はんだ)家の出身で、西洋医学(蘭学)の先駆者として知られています。


日本禅宗とお茶のふるさと
臨済宗の祖・栄西(えいさい)は、渡宋の帰途、平戸に数カ月滞在し、「冨春庵(ふしゅんあん)」と呼ばれるお堂を拠点に禅宗を広めました。また、中国で入手したお茶の種子を冨春庵の裏山にまき、製茶や喫茶の方法を日本の人々に伝えています。


日本最初の茶畑跡「冨春園」


冨春庵跡にある栄西禅師の「座禅石」

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/


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2009年10月16日

長崎平戸/映画「幸橋」:舞台となる風光明媚な平戸(3)

~城下町・平戸~

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/

平戸の青い海を望む小高い丘の上にそびえる平戸城。
現在は平戸のまちを一望できるスポットとして、また平戸藩時代の資料館として、だれもが
訪れる観光の拠点となっています。

現在城が建っている場所には、1599年、松浦家第26代法印鎮信が日ノ岳(ひのだけ)城を
築きましたが、徳川家の信任を得るために自らその城を焼き捨てるという歴史がありました。
その後の鎖国政策で、西洋貿易の利を失った平戸藩は、天祥鎮信の時代、内政に力を注ぐ
一方、兵学者・山鹿素行(やまがそこう)と親交を深め、城の再建に尽力しました。

1718年に完成した平戸城は山鹿兵法を体現したもので、平戸瀬戸を自然の要塞に見立てた
海城の性格を持っています。
経済的な繁栄が藩を支えるとの考えから、城下は港を中心に商人を集めて町屋を作り、武家
屋敷は山手に集めるという独特のつくりになっており、今も当時の形状をとどめています。

また、松浦氏と縁の深い寺院も数多く点在。古き町並みを味わいながら寺院をめぐると、城下
町としての平戸の魅力を堪能することができます。



平戸城(亀岡城)
平戸城は第29代松浦鎮信(まつうらしげのぶ)(天祥)と山鹿素行(やまがそこう)が築城の構想を練ったと伝えられ、1707年の移転から明治維新までのおよそ150年間、平戸藩政の中心でした。現在の天守閣は1962年に平戸市が復元。平戸港や黒子島(くろこじま)原生林が展望できる観光スポットとして親しまれています。


鐶頭の太刀(かんとうのたち)
柄頭(つかがしら)を環状にまるめ、竹を馬皮で包んだ鞘をもつ93cmの鉄刀。神功皇后(じんぐうこうごう)の朝鮮出兵当時の武将の刀であったと伝えられています。亀岡神社の社宝として歴代藩主の厚い保護を受けました。[国指定重要文化財]


平戸城北虎口門(きたこぐちもん)扉
堂々たる北虎口門扉。城構築当時の面影を伝えます。
現在は平戸城天守閣で展示公開されています。


松浦史料博物館
およそ400年前、オランダやイギリスとの貿易が盛んだった時代の平戸藩主邸および藩庁跡で、現建物は廃藩後明治26年(1893)に松浦家の住まいとして再建されたものです。
昭和30年、松浦氏から寄贈され、歴史博物館として発足しました。「千歳閣(せんざいかく)」と呼ばれる謁見の間を中心に、松浦家代々のコレクションが展示されています。


平戸観光資料館
平戸の歴史的資料を見学できる施設です。平戸藩主と交わりの深かった山鹿素行(やまがそこう)にまつわる資料やカクレキリシタンに関する資料などが集められています。

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/


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2009年10月16日

長崎平戸/映画「幸橋」:舞台となる風光明媚な平戸(2)

~カクレキリシタンの里~

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/

長崎県内に点在する教会は約130を数え、平戸市内にも多くの美しい教会が存在します。

寺院と教会の見える風景
平戸には東西文化が共存する景色がよく見られます。中でも象徴的なのが瑞雲寺山門から見た風景。手前から瑞雲寺・光明寺と並び、その奥に聖フランシスコ・ザビエル教会の尖塔が見えます。


山田教会内部
カクレキリシタンは長崎各地に存在していましたが、現在組織的に信仰を残しているのは生月島だけだといわれています。「カクレキリシタンの里」として永い歴史を経てきたこの島には、至る所に迫害や殉教秘話の数々が遺跡として残されています。


聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂(平戸教会)
平戸観光スポットのひとつで、1931年に建てられました。2つの寺院(瑞雲寺(ずいうんじ)・光明寺(こうみょうじ))の先に薄緑色の教会がそびえ、その景観は和と洋の文化交流の結びつきの深さを感じさせます。


紐差教会
大規模な天主堂で、外部はロマネスク様式、内部は中央を高くした折り上げ天井になっています。美しいステンドグラスは、1929年建立時にはめ込まれたもので、今も優しい光を届けています。設計は教会建築で有名な鉄川与助(てつかわよすけ)


宝亀(ほうき)教会
1898年建立。建築様式に特徴のある聖堂で、外壁は正面部分がレンガ造り、主体部分が木造、屋根は切妻(きりづま)の瓦ぶき、コウモリが翼を広げたようなリブ・ヴォルト天井になっています。落ち着いた趣のある教会です。

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/


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2009年10月15日

長崎平戸/映画「幸橋」:舞台となる風光明媚な平戸(1)

~日本歴史に残る貿易発祥の島~

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/

■「西の都 フィランド」と呼ばれた、遠き時代への旅
 平戸港ターミナルから海岸沿いにしばらく歩くと、「常灯の鼻」と呼ばれる防波堤があります。
 平戸が日本で最初の貿易港として栄えたころ、この場所にはオランダの国旗がはためき、
 高く帆を揚げて入港する異国船を歓 迎していました。
 今、目の前に横たわるのは穏やかな海…。
 常夜灯(灯台)が平戸瀬戸を通る船の安全を見守っています。



                                     ▲常灯の鼻
平戸の歴史は、海の交流史と言っても過言ではありません。日本の西端に位置しているため、古くから中国や朝鮮と深いつながりがありました。奈良・平安時代には遣唐使船の寄港地として、多くの若者たちが夢とロマンを胸に風待ちした港であり、鎌倉・室町時代には、この地を治めていた松浦氏の一族が、アジアとの貿易を行い利を得ていました。
 このように海外交流の窓として世界に開かれていた平戸が、国際貿易都市として花開くのは、1550年のポルトガル船入航後のことで、徳川幕府が海外貿易との拠点を長崎・出島1カ所に制限するまでのおよそ90年間、ポルトガル、イギリス、オランダなどのヨーロッパの国々と親密な交わりをもつようになります。当時、このあたりの地方豪族にすぎなかった松浦隆信(まつうらたかのぶ)(道可)は、こうした海外貿易によって力を増し、戦国大名としてその名が知られるようになりました。そのころのヨーロッパ諸国との交流の跡は、今もなお市内のあちこちに点在し、エキゾチックな雰囲気を醸し出しています。


幸 橋
城と城下町を結ぶ要の橋として、1702年松浦家30代松浦棟(雄香)がそれまでの木橋を石橋に改架。オランダ商館築造に携わった大工、豊前(ぶぜん)がその技術を伝え、地元の石工たちによって造られました。別名「オランダ橋」と呼ばれています。[国指定重要文化財]


オランダ塀
オランダ商館跡の一部で、砂岩や玄武岩を積み上げたものに、貝殻と石灰を混ぜたしっくいが塗られています。上部が屋根形に造られた高さ2メートルほどの塀は、オランダ商館跡を背に約30メートル続いています。1610年代から20年代初めにかけて築造されました。


三浦按針(あんじん)の墓
日本に最初に漂着したイギリス人、三浦按針(ウイリアム アダムズ)は徳川家康の外交顧問として活躍。イギリス・オランダと平戸との貿易にも貢献しました。5月には毎年遺徳をしのぶ「按針忌」が行われています。


イギリス商館遺跡碑
1613年、現在の市役所の対岸あたりにイギリス商館が開かれました。[1623年閉鎖]
その記念碑が市役所玄関横に建てられています。


オランダ埠頭
1613年、現在の市役所の対岸あたりにイギリス商館が開かれました。[1623年閉鎖]
その記念碑が市役所玄関横に建てられています。


平戸和蘭商館跡
長崎出島に移る前、オランダ商館はここに建っていました。現在は広場で商館の模型や、当時の建物の跡を見ることができます。

※平戸市公式ホームページより
http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/


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Posted by 幸(さいわいばし)橋 at 23:36Comments(0)映画

2009年10月13日

長崎平戸/映画「幸橋」:伊藤邦明・七重ご夫妻の講演会より

~先月・千葉で行われた講演会より~

この映画のモデルになっていただいている、伊藤邦明さんは
全国で写真展・講演会を行っています。
今回は、9月27日に千葉にある”元気生活づくり塾”というところで
行われた講演会の内容を掲載いたします。



【講演内容】

伊藤邦明さんは平成2年1月、50歳の時、高さ20m(ビル7階)のクレーンの
上から墜落、ひん死の重症を負ってしまいます。気がつくと医師や看護士さん
が懸命に見ず知らずの自分を生き返らそうと努力されている会話にただただ、
感謝する気持ちでいっぱいでした。
そのことが、今こうして生きている原点になっています。そして命と引き換えに
光を失いました。顔面、腕、足の骨折手術、リハビリ、盲人としての訓練を終え
事故から2年2ヶ月後、「奇跡の生還」を果たしました。

この頂いた命、感謝でお返ししたい。命のある限り社会に貢献したい。
自己満足ではいけない。誰かのためにお役にたちたい。何ができるか。
まずは、目となり、杖となって自分を支えてくれている妻に日頃の感謝を形にと、
妻の夢「外国旅行」をプレゼントすることにしました。


平成6年6月9日、ピースボートが主催する船に乗り15カ国84日間の旅に出ました。
そして伊藤さんは周囲の音を聴き、空気を感じ、奥さんの七重さんの描写に耳を
傾けカメラのシャッターを切りました。

撮った写真は1000枚を超えました。その写真が反響を呼び写真展の開催になり、
東京、名古屋、全国各地で開催され、NHK等のマスコミで取り上げられました。
そしてこの写真展を見た人達が伊藤さんの写真に勇気づけられ、感動の輪が広が
って行きました。

その後、平成8年には世界の人達に見てもらおうと企画。
8カ国9以上会場で700名の方々の善意に支えられ3000名の方々に見ていただく
ことができました。日本、世界で平和のための写真展を観に来てくださった方々は
12万人を超えました。

この旅で、世界で初めて盲人の南極滞在となりました。
南極も温暖化が進み、環境破壊を目のあたりにしました。
また、戦争をしたベトナム、エリトリアの現状は悲惨でした。ゴビ砂漠ではゲルに
泊まりモンゴルの親子三代同居の絆が深く、沢山で子育てをしていました。

各国で写真展を開催し、沢山の方々の大きな力に支えられ学んだことは「物もお金
も大切です。しかしそれ以上に、心の豊かさが大切である」ことでした。
日本の子供たちに、そのことを繰り返し、繰り返し教えて行きたいと思います。

伊藤さんが苦しみや絶望を跳ね返し前向きになれたのも、周囲の暖かい献身的な
看護に接する中で、人の優しさや信頼。何事も受け入れる心の広さが培われ、大き
な試練の裏側に大きな喜び、大きな感動が待っていたのです。
一生懸命に生きることは、命を大切にすることの証です。
そして、この写真を通して、「人には限りない可能性のある」ことを再確認していただ
きたいと思います。



~妻・七重さんのお話~

事故にあってから20年、”私は世界一幸せ者です!”
あの事故がなかったら、主人と私は普通のお父さん、お母さん、普通の夫婦でした。
”今、本当の夫婦になれたと思います。”

何回かの手術をしているうちに、血液が十分にかかとに流れないため、右足のかかと
が腐ってきてしまいました。
先生は「足首から切断するしかないな。」と言われました。
私は「何とか切らないでください。切らないで治す方法を考えて下さい。」とお願いしま
した。先生は右足の膝の下にある骨、肉、皮膚、それに血管を一本取って腐ったかかと
に移植する方法を取りました。
先生は”だめでもともと”と考えていらしたようでした。前例にない新しい方法でしが、
お蔭様で無事に成功。血液が流れ切断せずにすみました。
でも、立ったり歩けるようになるには毎日痛いリハビリを二人三脚で続けました。

家族にもリハビリ、命のリハビリが必要です。
  ①思いやり 
  ②決してあきらめない
  ③リハビリの鬼になる
一生真っ暗闇の夫。生涯夫の目になろう。杖になろう。
”盲導犬ではなく、盲導人”になろう。そう決心しました。身体は障害者でも心は障害者
にはならない。目が見えなくても外に出よう!


二年間の闘病で共通の時間、共通の話題、会話の大切さを実感しました。
見える事、見てきた事をどう伝えるか。そこに自分が感動したことを、感動したもの、
しか伝たわらない。感動しないと伝わらない。ことが解りました。
そして言葉の力の大きさにも気づきました。

私も、くも膜下出血で倒れました。主人と私は二人で一人。
21日間の入院の後退院。
後遺症も残らず、こうして元気でいられるのも「どうしても死ねない。」その思いが
あったからだと思います。これから何があるかわかりません。
介護する側もされる側も自立しておく事が大事です。


~あとがき~

伊藤邦明さんの講演会は、なぜか涙で胸が熱くなる。
伊藤さんの死を乗り越え、すべてを受け入れ、包み込むような優しいオーラに
感動し、癒されたからだろうか・・・・・。
そして、奥様の明るさと、ご主人への愛情の深さ。
お二人から、勇気と元気を頂き、自分自身にも人様にお役に立てることが必ずある
はず、一度しかない人生。何かをしなければ。



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2009年10月08日

長崎平戸/映画「幸橋」:伊藤邦明氏作品集

~盲目のカメラマン:伊藤邦明氏~

あなたは信じられますか?

これは、全盲で一筋の光も感じない伊藤さんが撮影した写真。
心でとらえた写真。

決して計算して撮った写真ではない。

風を、臭いを、声を感じ、すべての感覚を集中させシャッターをきる。

二度とない、空気を”体で、そして心で”感じシャッターを切る。

伊藤さんは語る
「生きている証としてシャッターをきる!」と。

         
                                            
         




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2009年10月08日

長崎平戸/映画「幸橋」:伊藤邦明氏紹介(2)

~伊藤邦明さんの奇跡~

~20m上からコンクリートに落下。奇跡的にいのちをとりとめる~

平成2年1月30日、伊藤邦明さんは安全管理に当たっていた。
自動車格納用の無人化倉庫(埼玉県上尾市)で、クレーンに乗って
写真を撮り続けていた。
しかしそのとき、足をすべらせて、高さ約20mの上空からコンクリートの
床に落ちてしまった。
邦明さんは、アゴ、頭、手足など、ほぼ全身にわたって骨折。
血は床にあふれ、伊藤さんが病院に運ばれたときは、血液中の
ヘモグロビンの濃度が普通の10分の1にまで下がっていた。
つまりそれは医学的には「死」を意味してた。
会社では葬儀を準備していた。
ところが邦明さんは、医師の懸命の努力によって、奇跡的にいのちをとりとめた。



~リハビリで回復。でも二度と目は見えなくなった~

その後2年間のリハビリで、不可能といわれていた「歩くこと」「言葉を話すこと」
ができるようになった。
でも、目はついに見えることはなかった。
奥さんの七重さんは「私の目をこの人にあげて!」と叫んだ。
七重さんは、倒れそうになる自分を励ましながら、ときには点滴を打ちながら、
邦明さんの看病を続けました。リハビリにもずっと付き添っていた。
邦明さんは、味覚やj嗅覚も失った。
整形手術でなんとか「顔」がよみがえりました。背丈も6cmほど縮んでしまった。
左右の足の長さが違うので、外に出るときはいつも七重さんが付き添った。



~全盲のカメラマンの誕生~

邦明さんは、前途を悲観することはやめようと思った。
かつてはプロ級の腕前だったカメラの撮影技術。
撮りためた写真の数々…。「もういちど、写真を撮ろう!」と邦明さんは決心した。
七重さんはビックリしました。
そしてついに邦明さんは、七重さんと一緒に世界一周の船旅に出かけた。
その写真展が、マスコミを通じて大きな反響を広げた。
その後、全盲のカメラマン・伊藤邦明写真展は、日本全国、そして世界各地の
20万人もの人々に感動を与え続けている。





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2009年10月05日

長崎平戸/映画「幸橋」:しあわせ橋伝説

しあわせ橋伝説



平戸藩がまだ外国と貿易をしていた頃、宿屋を営むかたわら通詞を副業とする
長崎屋という家が平戸にありました。当主は代々、源右衛門を名乗り、この話は第11代の頃、
1640年以降のお話です。その第11代源右衛門は、大変な働き者で宿の仕事ばかりでなく、
時折オランダ船が港に入ると殿様に呼ばれてオランダ通詞としても役立っていました。
今のようにエレキという便利なものがあって夜も明るければ一日中働いてしまうような、
働くことが本当に大好きな青年でした。



 貿易が盛んになると次第に平戸藩は裕福になり、ついに西国の小藩の賑わいは幕府の
知るところとなり、1641年に平戸のオランダ商館は閉鎖され、天領長崎に移転する事になり
ました。と同時に年に一度オランダ人を江戸に呼び寄せる事になり、江戸ではオランダ人の
常宿と通詞が必要となりました。そのため、オランダ商館移転のために平戸で用済みとなって
いた通詞の一人であった源右衛門に殿様はその大役を仰せ付けました。源右衛門には鶴と
いう許嫁がいたので平戸を長く留守にする事は気が進みませんでした。しかし、殿様の命でも
あるし、お江戸を見てみたいという気持ちもあったので、年に一度は平戸に戻る事、商売が
軌道に乗ったら鶴を迎えに来る事を約束して両親と共に江戸へと旅立ちました。



 江戸での毎日は源右衛門にとって夢のように楽しい日々の連続であり、いつしか平戸とは
縁遠くなり鶴との約束などすっかり忘れて、江戸で結婚し数十年が過ぎてしまいました。



 一方、純真な鶴は源右衛門が迎えに来るのをいつまでも待っていましたが、ある夏の終わ
り、あご風に乗って回遊してきた飛び魚が平戸近海で捕れはじめた頃、「ひとっ飛びで江戸に
行ける幸せの橋があるならばあの人が住む江戸とやらにこの足で行ってみたい。でもそれは
叶わない事なので死んであの人に会いに行きます」と親に言い残し、平戸湾の奥深く湾入した
鏡ケ浦の岸辺にあった松の枝に腰ひもを結んで首を吊って死んでしまいました。



その夜から鶴は江戸にいる源右衛門の枕元に立ち、源右衛門の心にあれこれと話しかけ
源右衛門を悩ませました。そしてその後の源右衛門は商売もうまくいかなくなり、更に近所で
たびたび火事がありその度に全てを失いました。

何度か挫折した後、性根尽き果てた源右衛門は平戸に舞い戻り、鶴が亡くなったという松が
残っている岸辺に立ち、しばらく対岸を見つめていました。突然、足許から対岸にかけて美しい
虹が架かり、その先には笑みを浮かべた鶴がいて源右衛門を手招きしていました。
源右衛門は意を決して呼吸を整え、その虹の橋を渡っていくと、その後ろに少しずつ木の橋が
現れました。
そして、源右衛門が渡り終えて振り返るとそこには本物の木橋が架かっていました。



人々は源右衛門と鶴が手を合わせたようなその橋を「幸(しあわ)せ橋」と呼び、若い人たち
はお賽銭替わりの一文銭を後ろ向きで川に投げ入れて二人の冥福を祈ったそうです。



 その木橋も約30年後に大雨のため流されてしまい、現在残っている石橋はオランダの石橋
技術で作られ「幸(さいわい)橋」と呼ばれるようになりました。


【川太郎のホームページより引用】
http://homepage2.nifty.com/n_hotaru/index.htm



映画「幸橋」を企画した、「どらまか企画」のホームページです。
http://doramaka-kikaku.com

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2009年10月04日

長崎平戸/映画「幸橋」:製作に当たって思うこと

~障害と健常とは~




障害者と健常者・・・・とは、誰が付けたのか?
そもそも、人間の違いはある?のか?

どこからどこまでが健常者で、どこからが障害者なのか?
誰がその”線引きをしたのか?”

この映画「幸橋」は、障害を持った話であるがために、私も随分悩んだ。
簡単に安易に脚本を企画していいものか?
単純に”感動”だけを求める映画でいいのか?

実在する”伊藤邦明さん”の承諾を得て、この物語を書き始めた頃は
”感動”を訴えることばかりを考え、脚本を書き始めた。
何度も何度も書き直し、今日に至るまでに既に「直し23稿」に至ってしまった。

しかし、このところ何かが違うと感じ始めた。

それは、この夏8月「長崎県平戸市平戸市立平戸小学校」の同窓会が
数十年ぶりに開催された。
地元に残る、親友たちが頑張って同期たちを集めてくれた。
久々の友人たちは、実に38年ぶりという出会いであった。
懐かしい顔、懐かしい声・・・全てが新鮮であり、懐かしくもあり・・・・。
とても充実した夏であった。

この企画をしてくれた地元で頑張ってくれた4人の幹事に感謝。
心より感謝します。
遠く離れた東京から、平戸に帰った甲斐があった。
地元の友人たち、本当にありがとう!

・・・・・・・・。

しかし、その同窓会の席で非常にショックなことがあった。
それは、同じ学び舎で過ごした仲間の一人が突然マイクを持って
同期の仲間に告げた・・・・それは。

「私は、中学のころから視力が急激に落ち・・・今では全盲になってしまい
みんなの顔はわからない。」・・・・と。

一瞬、音が消えた同窓会の会場。

でも、彼はとても前向きだった。
その姿に、同じ学び舎で過ごしたみんなはどれだけ励まされたことか。

そのとき、私はこの映画「幸橋」を再度製作しなければ!と感じた。

実は、昨年の春「5月」にクランクインの予定だった「幸橋」
様々な諸事情により、やむなく中止とせざるをなかった。
無念でしかたなかった。
地元の友人・先輩・団体・・・様々な方々に、多大な迷惑をかけてしまった
「長崎新聞」にも大きな記事を載せていただいた。
”平戸出身の監督作品”・・・と。
地元紙”現代人”にも載せていただいた。平戸市の広報誌にも
載せていただき、みなさんが期待し応援してくれた・・・・・。
しかし、みなさんの期待を私は裏切ってしまった・・・・・。
あれから一年半も経ってしまった。

この一年超・・・私は「もう諦めよう・・・地元の皆さんに迷惑かけすぎた。」
それしかなかった。
「もう映画作りはやめよう!」・・・そう思った。
そういった、やりきれないモヤモヤした日々を過ごす毎日。
そんな中・・・。
今年に入り、再度この物語のモデル”伊藤邦明さん”と会うことができた。
そこで新たに話を聞いているうちに・・・「やらなきゃ」
「絶対にこの話はやらなきゃいけない!」と、強く強く感じた。

なにがなんでも、この物語は作り上げなければいけない!と感じた。

その”伊藤さん”と”同窓会で再会して"盲目となってしまった同期の彼”を
通し、絶対にやらなければいけない「映画」だ!と大確信をした。
その同期の彼は、いま”長崎県視覚障害者協会会長」として、
頑張っている。

ありがたくも、その協会から映画「幸橋」の後援というかたちで
やっていただけることになった。ありがたい。本当に感謝。

まだまだ、先は長く大変な映画作りだが「何としてでもやり遂げる!

「なんとしてでも、やらなければいけない作品」なんです!

映画「幸橋」を、皆さんの手で作りあげる!
そのお手伝いを、是非宜しくお願いいたします!





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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:あらすじ

[あらすじ」


主人公・福田賢治は広告ポスタ-の撮影中、スタジオの天井から足を滑らせ墜落してしまう。
一命は取り留めたが、全身骨折。神経もダメ-ジを受け全盲に。
事故から3ヶ月後、意識は回復するが見えなくなってしまったことに絶望感が襲ってくる。
恋人・小杉彩の懸命な激励を受け、必死にリハビリを続け“何とか生きよう!”とする。
しかし、現実は厳しく体は回復には向かっているがカメラマンとして“光を失った”ことへの
絶望感が大きく圧し掛かってくる。彩をはじめ、周りの人に激励を受けながら毎日を過ごす賢治。
やがて体も回復し退院。賢治は社会復帰を目指しリハビリを続ける。
一時は精神的にも回復したかのように見えたが、
何も見えない不安が重くなり毎日が投げやりの状態に陥ってしまう。
そんな中、恋人の彩は二人の故郷である“長崎県平戸市”へ戻ることを勧める。


そこでも毎日が無為な生活を続ける賢治。
その姿を辛く悲しむ賢治の両親。
賢治の親友・北垣剛は、“再び写真撮影”を口にする。
賢治は見えない自分を“馬鹿にしているのか!”と、さらに卑屈になってしまう。
しかし、剛と彩は決して諦めず、賢治に生きる“喜び・可能性”を与えたいと、
「生きている証として写真を撮れ!」と 必死に賢治に語りかける。


悩み続ける賢治だが、ある日深く決意をする。
ここから、新たな賢治の戦いがはじまる・・・・・。



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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:舞台となる長崎県平戸市

舞台となる長崎県平戸市

〔歴史とロマン溢れるまち・平戸〕


美しい風光に恵まれたまち、長崎・平戸。
海の町平戸の旧町部には城下町時代からのまちなみが多く残されている。
様々な表情を見せる屋根瓦。格子窓が残る懐かしい建物。
石畳の路地からふと視線を上げると眼に飛び込んでくる海の碧。
歴史と信仰の島として、西海の海に静かに浮かぶ「歴史とロマンの島・平戸」
日本最初の海外貿易港として、世界への窓を開いた平戸。
平戸の歴史は古く、海の交流史といっても過言ではない。
そのころのヨーロッパ諸国との交流の跡は、今もなお市内のあちこちに点在し、
エキゾチックな雰囲気を醸し出している。

海外貿易都市として花開いた平戸         

そこには垣根のない人間関係がある。

そこには、だれでも受け入れるやさしさがある。

そこには、だれでもうちとける人情がある。

昔と変わらない、人と人とのつながりがある。

人情味溢れる国、長崎・平戸。

新しい出会いによって作られた時代の足跡を残すまち・平戸。

「ロマン溢れる歴史」が教えてくれた、人と人とのつながりを。

「平戸」が教えてくれた、様々な“情(じょう)”の大切さを。

忘れていた人間同士の“あたたかさ”がここにはある。

いまこそ、人との“絆”“生きる喜び”“生きる勇気”を取り戻すとき。

それが、平戸には今もある。歴史が、ロマンが教えてくれた“希望”がここにはある。

平戸には“深い深いつながり”が、今も残っている。“絆”が“希望”が、ここにはある。

それを忘れてはいけない・・・・・いまだからこそ。




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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:伊藤邦明氏の紹介

〔伊藤邦明氏〕

この物語の物語となった「伊藤邦明さん」をご紹介します。
  
  
伊藤邦明(いとうくにあき)東京・国分寺市在住。

昭和14年(1939年)名古屋市生まれ。
県立愛知工業高校電気科に入学し写真部に所属。

昭和32年同校卒業後、名古屋造船(昭和38年石川島播磨重工業と合併)に入社し、
船舶の電気設計を担当。同社カメラ部に入部。昭和57年、中部支社から東京本社に転勤。

平成2年埼玉県上尾市の倉庫で写真撮影中、高さ20mから転落。
奇跡的に助かったが全盲になり嗅覚を失う。

平成3年労災保険認定。視覚1種1級、足3級障害年金受給。

平成5年石川島播磨重工業を退社。

平成6年、平成9年の2回にわたりピースボートで世界一周旅行に、
各地での写真展が大反響を呼んでいる。

今年でピースボートの旅で、世界を7周も回り全世界の写真を撮る。

※芸術写真を二科会近藤龍夫氏に学び、報道写真を朝日新聞社の山口昇氏などに学ぶ。



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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:ストーリー背景

〔ストーリー背景〕

この物語は、実在する全盲カメラマン『伊藤邦明氏』をモデルにしたストーリー。

今から20年ほど前に、高さ20m(ビル7階)から撮影中に誤って足を滑らせて転落。
全身骨折で瀕死の状態に。
奇跡的に命は取り留めたが、光を失ってしまった。
必死のリハビリで回復はするが、目が見えなくなってしまったことへの不安と絶望で
生きる喜びも消えうせてしまう。
そんな中、友人のカメラマンが「また写真を撮ってみろ!」と・・・。
「見えない自分になんてことを・・・。」悩む伊藤さん。
妻の七重さんも、心を痛めながら「私があなたの目になるから」とカメラを再び持つこと
を勧める。
妻の言葉に「よし!!」と再び写真を撮ることを決意する。
それから二人三脚の新たな人生が始まる。


全世界を飛び回り、今では地球を7周も回り各地でシャッターを切る。
その写真は、数千枚にもおよび写真集、写真展を開き、それが感動を呼び、
今では全国各地で写真展・講演会を行うまでになる。


伊藤さんは語る
「全盲である私が写真を撮ることで“人間には計り知れない無限の
可能性がある“と伝えていきたい!それが私の今の使命です!」
と。



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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:企画内容

 [企画内容]

この映画は”地域上映”という形で、
全国の学校・公民館等の公共施設で
また、全国映画館での上映も
視野にいれ活動をしてまいります。


「写真家という夢を実現させた」主人公が、
ある不慮の事故により「障害」を持ってしまい
「生きる希望」を見失う。
人生初めての挫折感を味あうことに。


そんな中、大切な人々の愛情・友情という
優しい空気に触れていく中で
自分らしい「生き方」を取り戻していく


どんな「障害」にも負けない
強い「生き方」とは何か
自分にしかできない「生き方」とは何かを
繊細な空気感の中で問いかけていく。


「生きる希望と勇気」を与える映画です



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2009年10月02日

長崎平戸/映画「幸橋」:企画意図

『幸橋』(さいわいばし)・・・・・幸せを呼ぶ橋。
    

もし、その上から一本のクローバーを落とし水面に落ちるまでに願い事をしたら叶うとしたらあなたは何を願いますか?
それは・・・・・「しあわせ」ではないでしょうか?
幸せは一人の力では叶えられない、家族や夫婦・恋人・親・兄弟・故郷の友情。
みんなの力、みんなの「幸せの架け橋」があって叶えられるのではないでしょうか。


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あなたは、こころの底からこんなにも恋人を友達を故郷を、
夫を妻を愛したことがありますか?

ある日、写真撮影中ビルの7階の高さから墜落し全身骨折で瀕死の状態に・・・・・。
一命は取りとめたものの失明し、体中に大ケガを負った夫。
”死”を選んだほどの絶望・・・・・。
それを、希望に変えてくれたのは妻だった。
闇の中で口もきけず身動き一つできず、死ぬことさえできなかったとき・・・・・。
二度と光を取り戻せないとわかったとき、足を切断すると医者に宣告されたとき・・・・・。
常に夫を支え勇気づけた・・・・・それは、妻であった。

苦しい闘病とリハビリの日々、自分の命と引き換えにしてでもと尽くし続けた妻。
奇跡の生還を遂げた夫と、夫に人生を捧げた妻の感動の姿。

これは、伊藤邦明さんご夫妻の実話です。

    

・・・・・伊藤さんは語る
「全盲である私が写真を撮ることで”人間には計り知れない
無限の可能性がある”と伝えていきたい!それが私の今の使命です!!」 
と。

あるときは目となり足となって、夫の写真撮影を支え続けた妻。
全盲カメラマンとして、今や世界を旅し風景や人物を撮影し全国400ヶ所で11万人を動員する
個展や講演会を開いている伊藤邦明さんご夫妻。

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この映画は、伊藤さんご夫妻のドキュメントとしてではなく、あくまでもモデルとしたドラマです。
しかし私たちは、伊藤さんご夫妻をモデルにし、忘れかけている夫婦や家族、親兄弟の愛と
友情や故郷の素晴らしさを映画で訴えてまいります。
全国の方々に、こんなに素晴らしい夫婦愛や家族愛、兄弟愛や友情と故郷の暖かさを
思い出していただきたいのです。
この映画を通して「生きる」とはどういうことか?
「生きる勇気」とはどういうことかを感じていただければ幸いです。




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2009年10月02日

長崎平戸を舞台にした映画「幸橋(さいわいばし)」

どらまか企画では、映画「幸橋」製作に取り組みます

この物語は、実在する全盲カメラマン”伊藤邦明”氏の許可を得て、伊藤さんの壮絶な戦いをモデルとして書き上げたドラマです。
今から20年前、伊藤さんは撮影中に高さ20mの高さから誤って転落してしまいました。
全身骨折・内臓にダメージを受け瀕死の状態に。
奇跡的に一命は取り留めたが、光を全く失ってしまった。
生きる希望をなくした伊藤さんでしたが、周りの人たち、そして愛する妻の応援で再びカメラを持つ。
そして”全盲カメラマン”として世界を駆け巡る。
その前向きな「生き方」・・・。
映画「幸橋」では、「生きる希望」を見出すまでの戦いを壮絶に描く。
「勇気と希望」を与える映画です。



撮影には膨大な時間と費用がかかります。是非皆様のご協力をお願いします!
この映画は障害を持った方だけではなく、全国の方々に観ていただき「生きる」とは何か?
自分にしかできない「生き方」とは何か?を感じていただきたい。
「生きる勇気と希望」を与える映画にしていければと考えております。



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